鬼日向 水野勝成

[1] 名前:名無しさん :2013/11/12 (火) 11:10:55 No.273
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●織田家家臣水野忠重の嫡男として誕生(家康の従兄弟にあたる)

●16歳のとき、高天神城攻めで15の首級を挙げ、主君だった信長から戦巧者として永楽銭の旗印をもらう。

●19歳のとき、甲州黒駒合戦で北条軍(一万人)とひとりで対峙し、300の首級を挙げる

●北条との戦いで鳥居元忠と共に北条と戦い戦功を挙げる

●小牧・長久手の戦いでは兜無着用で一番首の戦功を挙げる

●父、忠重の部下が自らの不行状を報告したとして勝成はこの部下を斬り殺す
激怒した忠重は勝成を奉公構えに(他家への仕官禁止)

そして勝成、名を変え京都へ(勝成21歳)

●秀吉の家臣・仙石秀久の家中にいて四国征伐軍に加わる
秀吉に気に入られ召抱えられたが、知行を捨てて逃亡

●肥後の領主・佐々成政に仕え肥後国人一揆鎮圧に参加し一番槍の戦功を挙げる

この後、勝成は加藤清正、立花宗茂、黒田如水と名立たる名将に相次いで仕え
豊前の一揆鎮圧では後藤又兵衛と共に活躍するが戦が終わるとまたもや逃亡する

こうして勝成は方々を虚無僧として流浪
放浪の後、備中国の三村親成の下に身を寄せるが茶坊主を切りつけ逃亡
ほとぼりが冷めた後再度三村親成の下に身を寄せる

つづく・・・



1599年豊臣秀吉の死後、豊臣政権が混乱の兆しを見せると
勝成は京に向かい、家康に仕え、その家康の仲介の下父・忠重と15年振りに和解する(勝成36歳)

1600年父・忠重が石田三成の家臣・加賀井重望に殺害され家督を相続する

関が原の戦いでは敵将福原長堯から名刀「名物日向正宗」を奪い取る等、数多くの戦功を上げる
大阪冬の陣、そして夏の陣では先鋒大将に任じられ無類の戦功をあげる(水野家の客将として宮本武蔵参戦)
郡山城の戦いでは大野軍は鬼日向と恐れられた勝成の馬印を見るや退却していったという
後藤又兵衛と交戦する道明寺の戦いでは家康の命を無視し軍の大将にも関わらず一番槍をあげ、又兵衛の部隊を壊滅させる
松平忠直の軍が明石全登の突撃を受けて総崩れとなった際
忠直の兵は勝成の軍に逃げ込んでくるが、勝成はこれを叱責
槍を手に自ら先陣に立ってこれを押しとどめ、全登の部隊を撃退する
このとき勝成は自ら2つの首級をあげる
[2] 名前:名無しさん :2013/11/12 (火) 11:35:36 No.274
その後、福山10万石を与えられ藩主となった勝成は
放浪時代に臣従し後に没落していた三村親成を高禄で家老職に迎えるなど
放浪時代の人脈を生かし、在地領主・郷士を積極的に登用
善政を行い全国初ともいわれる藩札を発行
治水工事や新田開発も積極的に行い福山を大いに発展させ領民に慕われ名君とうたわれた
隠居後も隠居料の1万石を領内の投資に注ぎ込むなど、藩政への関与は続けた
80歳になった頃、禅に傾倒し宋休と号した勝成はその後、福山城内において88歳で死去し
徳川二十八神将として日光東照宮に配祀されている

「下の情をしる事はこれ虚無僧たりし故なり」 水野勝成




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