「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さん死去

[1] 名前:名無しさん :2012/12/25 (火) 14:10 No.96
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自分の被爆体験を元にした漫画「はだしのゲン」で有名な漫画家・中沢啓治(なかざわけいじ)さんが19日、
肺がんのため、広島市内の病院で死去した。73歳だった。葬儀は本人の意向で行わなかった。

中沢さんは広島市出身。6歳の時、爆心地から1.3キロの同市内の国民学校前で被爆。父と姉、弟を失い、
直後に生まれた妹もまもなく亡くなった。中学卒業後、漫画家を志して上京。1963年のデビュー当初は
原爆体験を秘していたが、66年の母の死への憤りをきっかけに、初めて原爆を題材にした作品「黒い雨にうたれて」
を発表した。

73年に、週刊少年ジャンプ(集英社)に連載を始めた自伝的作品「はだしのゲン」は単行本だけで
650万部を超すベストセラーになり、10カ国語以上に翻訳された。2009年には「ゲン」を含む
全作品の原画を広島平和記念資料館に寄贈。近年は白内障で漫画の筆を折ったが、被爆体験を語る講演に精力的に取り組んでいた。

[朝日新聞]2012年12月25日8時22分
http://www.asahi.com/obituaries/update/1225/OSK201212250011.html
「はだしのゲン」(c)中沢啓治/汐文社
[2] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:01 No.97
はだしのゲンを誤解してる人も多いけど。
反戦反核を描いたマンガではあるけど、けっしてプサヨではない。
日本人として。被爆国の国民として後生に語り継ぎたい作品です。

ご冥福を祈ります。
[3] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:08 No.98
中沢

おふくろは奇跡的に助かったんですよ。2階にある物干し台で洗濯物を干し終え、軒先の下に入った瞬間に原爆がさく裂した。
軒先1枚で熱線を防げたの。さらに家が爆風でつぶれるのと逆に、物干し台がおふくろを乗せて吹き飛んだ。
裏の路地に着地し、かすり傷一つしなかった。
気がつくと、弟の進が玄関先で泣き叫んでる。「お母ちゃーん、痛いよ! 痛いよ!」って。行ってみたら、太い敷居の柱に頭を挟まれて足をばたばたさせていた。
中からは、おやじが「何とかせえ! 何とかせえ!」って叫んでる。姉の英子の声は一切しなかった。即死だろうと。
進を助けるのに、材木を差し込んで柱を動かそうとするけど、大きな柱が使われてるからびくともしない。
通る人に頼んでも駄目だった。
そのうち進の声が「お母ちゃーん、熱いよ! 熱いよ!」に変わった。炎が回ってきていた。
おふくろは半狂乱になって、泣き叫ぶ弟の体を抱きしめて「お母ちゃんも一緒に死ぬるけえ!」と座り込んでいた。
[4] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:09 No.99
中沢

炎が家を包みだした時に、裏に住んでいた人が通りかかって
「中沢さん、もう諦めんさい! あんたまで死ぬることはない」って、
嫌がるおふくろの手を引っ張って逃げてくれた。
炎の中で、弟の泣き叫ぶ声がもろに聞こえてきたって。
それが耳の奥底にこびりついて、
おふくろは死ぬ間際まで、進とおやじの声がよみがえってくる、って言ってた。

学徒動員で呉にいた長兄が戻ってきて、2人で骨を掘り出しに行った。
玄関口から子どもの頭蓋骨が出た。弟の頭蓋骨を持った瞬間が忘れられない。
8月の暑さなのに、背中に何十キロもの氷を載せられたような寒けがした。
意識あるまま、じりじりと焼き殺されたんです。
次の間には、おやじの頭蓋骨。6畳間を掘ると姉の頭蓋骨が出てきた。
その夜、ふっと目が覚めると、おふくろがね、3人の頭蓋骨を悲痛な表情で見据えていました。
[5] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:09 No.100
中沢 

6畳の部屋からは長女の頭蓋骨が出てきた。女の子の頭蓋骨というのは表情がある。
優しい顔をしている。「ああ、頭骸骨にも表情があるんだ」と思った。
お袋は、「英子は幸せだった。あっという間の即死で、あれはいい死に方だったからよかった」と言っていた。

親父たちの骨を取りに行った時、わが家の周りは死臭でいっぱいだった。
それは、完全に焼け切っていないからで、まだ死体がごろごろしていた。
一番驚いたのは、最後の最後の瞬間まで、人間らしい感情が表れた死に方をしているということだった。
我が子がかわいいんだろう。母親が子供をぎゅーっと抱きしめて死んでいる。
死体が水ぶくれにふくれあがっているから、子供の顔が母親の肉体の中にめり込んでいた。
土橋の繁華街の近くでは、水槽に死体がいっぱいだった。
あそこは遊郭があったから、原爆投下の時は、みんなまだ寝ていたんだろう。
だから、火に巻かれて水槽に大勢が飛び込んだのだろう。
[6] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:12 No.101
中沢 

長兄と2人で市内を通って帰ったのだが、広島の7つの川が全部死体で埋まっていた。
僕も漫画の中で描いているように、死体の腹がふくれあがっている。
そしてガスが発生して、腹がそのガスでブスー、ブスーっと破れる。そこに水が流れこんで、死体が沈んでいった。
一番恐怖を感じたのは、ものすごい勢いでウジがわいてハエになるということだ。
ものすごいハエだった。もう目も開けられないほど真っ黒になる。そして、わーっと襲ってくる。
[7] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:14 No.102
中沢「原爆を投下する前にすでに、アメリカはわかってたんですよ。
 あれが。落としたあと、どういう放射能影響が出るかということがわかっていて、
 それですぐにABCCを比治山の上に建てるわけでしょう。

「ABCCが来てね、お袋の内臓をくれと言うんですよ。
 棺桶にいるお袋の内臓をくれと言う。怒ったんですよ。帰れ!って。
 いやあ、あれはもう…広島市を見下ろす比治山の上から、じーっと見ているんだよね
 今日は被爆者の誰が死んだ、誰が死んだというて。」
[8] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:15 No.103
中沢啓治

ドイツやイタリアの戦争指導者はきびしい追求をうけて、処刑されているのに、
日本では戦犯が総理大臣になるんですからね。

日本は神の国で、天皇陛下のために死ねと戦争教育をしていた教師は、
戦争が終わったら何もなかったような顔をしている。
だから僕はものすごい教師不信がありますよ。

村八分にした連中も平然として何も責任をとってない。
みんなが悪かったではすみませんよ」
[9] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:17 No.104
中沢
 
「アメリカはポツダム宣言で予告したわけです。強大な破壊力の用意があると。
あの時点で降伏すれば広島と長崎の被爆はなかった。

そもそも天皇は東京大空襲を巡幸して惨状を見てるんだから、
負けることはわかってたはずです。天皇制の保証がないから拒んだんでしょ。

その天皇が、戦後のうのうと広島に来て、日本人がまた万歳して喜ぶ。
[10] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:18 No.105
中沢

ところが日本はどうですか。敗戦の時も、イタリアとは反対に、
皇居の前で土下座して、「天皇陛下様、私たちがいたらなかったから、日本は負けました」と泣いたわけでしょう。
そして天皇は、戦後も憲法の上で「象徴」というかたちで堂々と生き残っている。

また、一方では、戦争犯罪人が戦後も平気で総理大臣になっている。
戦争を推進した連中が、政・財にのうのうとのさばって、依然として政治を牛耳っている。
彼らは、常に安全な場所に身を置いて、人々に命令ばかりしている。

だから、戦争のむごさ、原爆のすさまじさがわからないのです。
日本人全体の中に、戦争責任の問題意識が、まったく薄らいでしまっている。
[11] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:19 No.106
中沢

「戦後30年経って、戦争のことはすべて語り尽くされたというような風潮がありますがとんでもないですよ。
広島にしたって、キノコ雲と瓦礫の廃虚のだけで、 説明されてますけど、実際はそんなもんじゃない。

人間の皮膚にわいたウジ、青臭いウミ漫画の中で皮膚をたれ下げて幽霊のような格好をした人間が歩いていますが、あれは本当なんですよ。
ズルリと皮膚がはげて、指の爪に引っかかって、垂れ下がっている。
無意識のうちに地面につかないように腕を上げて、ちょうど幽霊のような姿勢になっているんです。
ふんどしかと思ったら、背中の皮膚が垂れ下がっている。影のように足の皮膚を引きずっている。
そんな光景はちっとも知られていない。
原爆記念館なんて、甘いですよ。」
[12] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:20 No.107
中沢

「うん。あのねぇ、「少年ジャンプ」で連載を始めたときには
ほんっとにリアルに迫ろうと思ってたんですよ。"やるぞ"ってね。
だから編集者がねぇ、気持ち悪がるのよ。"わっー、ウジが湧いてる"ってね。
フキダシのネーム貼るんでも横向いて貼ってんのよ(笑)。
それほど、これがリアルなのかなぁと。僕はかなりセーブして描いたつもりなんだけど。
僕が見たものを、そのままバーッとやったらねぇ、こりゃあもうヘドが出て来ますよ。
それを描こうと思ったんですけどねぇ。それをやったら読んでくれないから。
読者を無視して描いてもなんの意味もないじゃないかと。
だから本当は不本意なんですよ、あれ。かなり押さえて描いてありますから。」
[13] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:22 No.108
中沢

「…そうねぇ、うーん。自殺願望っていうかね
僕はいつも"死"っていうのを背中に背負っているような感じがするんですよ。
というのは、僕が生き残ったところから考えても死と紙一重ですからねぇ。
だからいくらハッピーであっても、何してても、人間は死んでいくんだ。
結局はみんな"死"だからなぁと。
無常観みたいな感じが小さい時から付いてまわっていたんですよ。
だから、僕の作品はよく最後は死んでいきますよねぇ」
[14] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:23 No.109
中沢

「だから"死生観"っていうのが非常にあったんですよ、あの原爆受けてから。
…で僕は何か素直にものを見れないって言うか。
女性をみてもねぇ、すぐ原爆でヤケドになってね皮膚がたれてね、ケロイドになった。あれがパッと浮かんでくるんですよ。
美人っていっても、皮一枚剥いだらあのケロイドのものすごい顔になるんだていうふうにね、わかるわけですよ。
だから、冷めたっていうかね、のめり込めない、女性に。
だから(作品では)ふてぶてしく生きる女性をとにかく描こうと。めそめそするのはイヤだと。
死を乗り越えていくような強い女性を描きたい。僕の作品の女の子は、みんなそういうふうに描いてますけど」
[15] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:24 No.110
中沢

人間は絶望すると、うつ向いて暗くなるかというと、そうじゃないんですよね。
逆にもう下がらないから、上を向いて楽天的になる。
なにしろ夢中で生きているんですからね。
それが第三者が見ると、滑稽にみえたりするんです。
[16] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:26 No.111
中沢

ぼくは66年間、一度も広島市の平和記念式典に出席しなかった。
昨年、肺がんを患い死線をさまよい、見納めになるかもしれないと、今回は参加した。
何かいたたまれないような、ジリジリとした思いを感じた。
「8時15分」というのは、地獄の底を這いずり回ったとき。平和の鳩が飛び、平和宣言がある。
言うたらいけないかもしれないが、もっと追求するべき深い何かあるんじゃないか。
市長の宣言に被爆者の声も紹介されたが、オブラートに包んだようだった。
もっと生々しい体験を語ってほしかった。反吐が出るような被爆の実態。それを世界にぶつけてほしい。
[17] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:27 No.112
中沢

「父親は、若いころ京都で日本画と蒔絵の修行をした。その後、演劇にも参加した。
当時の新劇、藤村の『夜明け前』、ゴーリキーの『どん底』。滝沢修さん、小沢栄太郎さんらと知り合い、左翼劇ですよ。
官憲、特高にねらわれ、いっせいに捕まった。お袋が髪を振り乱して叫んでいた、そのときのことをよく憶えている。

1年半ほど拘置所に入れられ拷問をうけた。やっと帰ってきたとき歯はぐらぐら、茶碗を持つ力もないほどだった。
しかし、親父は頑固一徹。ちゃぶ台を前に子どもたちに「日本は天皇制によってがんじがらめにされ、戦争を始めた。この戦争は間違っている」と、何度も言った。

子どもにだけでなく、海軍で潜水艦に乗っており出撃前に別れにきた(私の)叔父に、
「天皇制打倒だ。この戦争は間違っている。生きて帰れ」と、こんこんと説教した。

叔父は「天皇陛下のため名誉の戦死」を覚悟していたのに「気持ちが乱れた」と、かろうじて生還してから言っていた。
そういう親父でした。
[18] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:27 No.113
中沢

原爆のとき、ぼくはちょうど舟入本町の国民学校の校門を入るところだった。
そこで近所のおばさんに声をかけられた。
その日の広島は、真っ青な青空。B29が1機、白線を引いて飛んでいた。突然、巨大な火の玉がピカッと光った。
「ドーン」は聞こえなかった。光ったあと、突然の闇。気がついたら顔から血が流れ、塀が倒れていた。

おばさんに声をかけられ、街路樹のそばで立ち止まった、
そのちょっとした偶然で、塀の直撃を大きな街路樹が支えてくれた。
もう少し歩いていたら、塀の下敷きだった。
おばさんは髪の毛は焼け真っ黒。白い眼だけギラギラ光っていた。
[19] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:28 No.114
中沢  ●音のない世界

家に帰る途中に見た光景は、いまも眼に焼きついている。
素っ裸の人、爆風を受けた側にガラスの破片が、
ある人は右、背中、前から受けた人は眼球にもガラスが刺さっている。
みんなひどい火傷。火傷がすぐに水ぶくれになった。ぶよぶよ。そして破れて汁が出る。
皮膚が垂れ下がり、腕の皮膚は指の爪のところで裏返ってとまって垂れ下がる。
背中はズボンのベルトで、足の皮膚は踵でとまり後ろに引きずっている。
爆風で腹が裂け、腸を1メートルくらい引きずっている人。そういう人がぞろぞろ。一体、何が起きたんだ。
よく映画などでは「助けて」と泣き叫ぶが、そうではない。
音がない、シーンとした世界だった。
[20] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:28 No.115
中沢  ●弟の声がいまも

どうにか家の近くまでたどり着き、「お父ちゃーん、お母ちゃーん」と叫んだ。一帯は燃えている。
近所の人が「電停のとこにおってじゃ」というので行ってみると、母親がいた。
母親と家に引き返すと、4歳の弟が崩れた柱に挟まれて「痛いよー」と泣いている。
奥の方から父親の「何とかせー」という声。姉は即死したのか声がなかった。
母親と、柱を動かそうとしたがビクともしない。
そのうち弟が「熱いよー」と言い出した。火がきている。
母親は半狂乱(ママ)になって、「お母ちゃんもいっしょに死ぬけんねー」と。
通りかかった近所の人が、「あきらめんさい、いっしょに死んじゃいけん」と必死に母親の手を引っ張ってくれた。
振り返ると家は火の海。弟の「熱いよー」という声は、いまも耳から消えない。
親父、姉、弟は、そうして死にました。
[21] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:29 No.116
中沢

原爆の日の夕方、母親が川原で産気づいて妹が生まれた。
漫画の名前は実名です。食べ物がなくお乳も出ない。わずかの米を重湯にして汁を吸わせた。
しかし4カ月で死んでしまった。栄養失調か、髪の毛が抜けて死んだから放射能でしょう。

朴さんという朝鮮人が、ぼくの家の裏手に住んでおられた。
ぼくは、朴さんに可愛がられてね。同じ歳の子どもがいて仲が良かった。
朴さんの家に行くと、メリケン粉を水で溶いて塩を入れフライパンで焼いてくれた。
いつも腹がすいていたから、うまかったですよ。
原爆のあとはバラバラになり、
お袋が偶然、町で出会ったら「朝鮮へ帰る」と言っておられ、それっきりになってしまいました。
[22] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:30 No.117
中沢

弱いものいじめもいっぱいあった。原爆のあと江波の方で物置小屋を借りて住んだが、
ぼくは後頭部を火傷して傷になっていた。
町を歩くと、子どもたちに囲まれ「よそ者、出ていけ」と頭を叩かれる。
そうすると、傷が破れて血膿が出る。悔しかった。
母親が生きていなかったら、住むところも食べるものもなく栄養失調で死んでいたか、
悪党の世界に入っていたでしょう。

当時、広島駅の周りには、孤児たちがいっぱいでした。
寒い冬は、ドラム缶に火を燃やし、その周りに栄養失調の子どもたちが十重二十重に囲んで、
バタバタ死んでいくんです。
きのう死んだ子が片づけられて、そのあとに別の子が倒れ込んでいく。悲惨でした
[23] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:42 No.118
中沢

75年9月から別の月刊誌で連載を再開した。
ジャンプの連載をやめて半年くらいしたころ、
朝日新聞の記者が来て「ゲン」を読ませてくれ、って。
そのまま、ずっと追っかけてきて続編があるならやらないかって、
「市民」っていう月刊誌を紹介してくれた。
でも1年で廃刊。「原稿料払えません」ってパア。もう散々よ。

まあ蓄えはあったけど。次の月刊誌を探せばいい、何とかなるよ、って思っていた。僕は楽天的だから。
それに、連載が中断していても構想はどんどん頭の中を駆け巡るから、仕事してるのと同じよ。
 
その後、「文化評論」っていう月刊誌で77年7月から3年半。
また「原稿料が払えない」って言われて。

82年4月からは「教育評論」で3年半やり、10年以上かかってやっと完結させた。
[24] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:43 No.119
中沢

週刊少年ジャンプで連載していたのに、集英社が単行本にしないのはなぜか。
社名が残るからいかん、って。雑誌だと「読み捨て」で消えていく。
「わが社が出した作品じゃないんだ」というものの考え方をしている。上層部がそうなんだよ。

同じ週刊少年ジャンプで連載した「オキナワ」なんて、輪転機が回れば単行本として出るところだったのに、
上からストップがかかった。「集英社の名が残る」って。
何を恐れとるんかね、言論抑圧ですよ。
結局「ゲン」の単行本は、知り合いを通じて別の出版社から出した。
[25] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:44 No.120
中沢

●「黒い雨にうたれて」について

作品を発表するまでには、長い時間を要しました。
当時はまだ米国がメディア統制していたからです。

大手出版社は どこに持ち込んでも「強烈過ぎて、掲載できない」という。
そこで、エロ本を出していた出版社に持っていったのです。

雑誌の編集長が骨のある人で、
「やりましょう。ただし、あんたと俺はCIAに捕まるかもしれない。覚悟しろ」
と言われました。
[26] 名前:名無しさん :2012/12/26 (水) 00:44 No.121
中沢 ●「黒い雨にうたれて」について

被爆青年が悪徳米国人を殺していく話。復讐劇みたいな。
しかし、なかなか発表することができなかった。
大手の出版社に持ち込むんだけど、どこの編集者からも
「内容はいいんだけど、ちょっと露骨すぎる」って断られる。
原稿が入った封筒はほこりをかぶったままになった。

そのうち(1967年1月)、長女が生まれ、養育費が要るから売れる漫画を描いて原稿料を稼ぎまくった。
ある日、気づいたら、その封筒があった。
「大手にこだわらなくてもいい。誰かの目に触れて、何かを感じてくれればいい」って考えた。

それで、「エロ本」の出版社に行ったの。そしたらいい編集長でね、原稿を読んで「やりましょう」と。

「ただし、中沢さん、これをやることによって、あんたと俺はCIA(米中央情報局)に捕まるか分からん」と言うんですよ。
僕も「喜んで捕まりますよ」って。

ただ、表紙に「原爆」の文字を入れないでくれ、って頼んだ。
読者に先入観を与えたくない。読むうちに原爆の事実に触れればいいと思ったから。
[27] 名前:名無しさん :2013/08/20 (火) 10:16:36 No.203
閲覧制限反対。馬鹿げている。
[28] 名前:名無しさん :2013/08/20 (火) 11:39:54 No.204
>>27
右からも左からも非難される反戦マンガ。
[29] 名前:名無しさん :2013/10/21 (月) 17:13:05 No.223
>>2
はだしのゲンは後半になると 中国によるプロパガンダを
鵜呑みにしたような内容。

要注意。
[30] 名前:名無しさん :2017/02/07 (火) 17:28:54 No.328
売国奴に変りはない
[31] 名前:名無しさん :2017/03/07 (火) 18:06:27 No.380
地獄に落ちてるな
[32] 名前:名無しさん :2017/04/11 (火) 21:21:09 No.433
売国奴
[33] 名前:名無しさん :2017/05/20 (土) 20:05:33 No.486
売国
[34] 名前:名無しさん :2017/06/26 (月) 18:20:40 No.538
[35] 名前:名無しさん :2017/07/21 (金) 17:41:16 No.590
此処で同情しない筆頭
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